障害者職業総合センターでは1993年より、障害者の職域拡大のための支援機器開発プロジェクトをスタートさせました。プロジェクト開始からの1年間、外部の専門家の方々を交えた研究開発委員会では、どのような障害をもつ人向けにどのような機器を開発すべきかについて、ニーズの高さと実現可能性の観点から検討が重ねられました。その結果選ばれたふたつの開発対象のうち、ひとつが上肢障害者用の特殊キーボードであり、もうひとつが視覚障害者用Windowsスクリーンリーダです。
僕が障害者職業総合センターの職員となり、このプロジェクトに加わったのは、おおよその開発方針が固まった1994年のことです。大学院では音声の知覚に関する研究をやっており、音声合成についても多少の知識はあったので、音声合成技術の応用であるスクリーンリーダの開発に主として関わることにしました。
ところが、この頃の僕は視覚障害者のコンピュータ利用に関して全くの素人でした。特に視覚障害者用としてすでに利用されている製品の名称がわからない。これではマズいと思い、視覚障害に関する本を読み、センターにあったVDM100を使ってみました。石川准先生のヒアリングを受けたのもこの頃です。先生は欧米におけるGUI対策、Windowsへの技術的アプローチ、日本でのGUIへの取り組み方について、僕のような素人にさえよくわかるお話をして下さいました。
それからしばらくはWindowsプログラミングの本を調べ、音声化の手法について考えていましたが、僕が知識を蓄えるよりも早く、委員会では開発委託業者の選定作業に入っていきました。ある程度実績のある企業にお願いすることになり、仕様書も作成されました。残念ながらこの年の開発はやや業者さん主導という印象があります。こちらや委員の先生方の要望が十分にプログラムに反映されていったようには思えません。ただし、これは業者さんだけでなく発注者側にも大いに問題があったのでしょう。作成された仕様書には本当に概略的な機能しか記されていなかったのですから、要望が適切に伝わるわけがありませんでした。
このような経緯を経て1995年にはWindows 3.1用のスクリーンリーダの試作ソフトができてきました。これをできるだけ多くの方に使ってもらい、意見を聞きたい。そこで評価者を公募し、各自でじっくり使ってもらうことにしました。ソフトを配布するにはインストーラとマニュアルが必要です。インストール手順は、視覚障害者本人が音だけを頼りにできるように考えました。マニュアルも作成しました。このマニュアルが95Readerマニュアルの原型になっています。
点字毎日で試作ソフトの評価者を募ったところ、大変多くの申込みをいただきました。評価希望者からの電話を受けると、まず評価を行うパソコン環境が整っているかどうかを尋ねます。パソコンの機種は何なのか、音源ボードは入っているか、などを尋ねるのですが、そんなこと普段から正確に記憶しているわけがなく、この確認作業に時間がかかります。パソコン環境が大丈夫となったら、住所と電話番号を書き留め、ようやく1件の受付が終了します。評価者募集時には対応者が僕1人だったため、受話器を置いた途端、また次の電話がかかってきて、文字通りトイレに行く暇もなく忙しかったのを覚えています。
評価時に配布したマニュアルのはじめにはこのようなことを書きました。「この試用の目的は、画面読み上げソフトウエアを利用すれば視覚障害者もWindowsを使えるということを実際の操作を通じて理解していただくことです。Windowsが全く使えないのではという不安を少しでも軽減できたら幸いです。」しかし実際には、Windowsは使い勝手の悪いものという印象を与えてしまったかもしれません。試作ソフトの最大の問題点はハングアップが頻発することでした。次に、読み上げられないアプリケーションがあることが指摘されました。残念ながらこれは今でもあてはまります。ほかに音声関係では、キーを押してから読み上げるまでの時間が長い、読み上げ速度をユーザーが自由に調整できないという問題、さらに根本的には、現在の状態やWindowsそのものがわからないなど、様々な問題が浮かび上がりました。
発注元としてもこの試作ソフトには不満でした。そして、要望通りのソフトを作ってもらうには、自分が必要だと考えている機能をプログラム開発者に明確に提示する必要があるという当たり前の結論にたどり着いたのです。ここまで1年かかってしまいました。 その頃にはWindowsは次のバージョンであるWindows 95が発売されようとしていました。次の試作は当然、Windows 95を対象とします。これを機会に開発の進め方を大きく変更しました。まず、開発委託先を変更しました。これにより、スクリーンリーダ本体のプログラミングをJSDシステム研究所が担当し、音声合成部を株式会社リコーが受けもつという現在の体制となりました。もうひとつ重要な変更点は、発注者である障害者職業総合センターで詳細な仕様書を作成し、これに基づいた開発をお願いしたことです。
仕様書では、コンピュータがどんな状態にあるときにどのキーを押したら、どのようなテキストをどのような読みモードで音声化するか、ということを事細かに取り決めました。Windows全般とエディタ、音声合成部、設定のダイアログボックスなどほとんどの仕様を僕が作成しましたが、IMEとExcelの仕様は当センターの岡田さんが担当しました。この仕様書は、ほかの基本ソフトやアプリケーションを音声化する際に役立つように、整理して当センターの報告書で公開しています。
音声合成部の調整にも時間がかかりました。大文字や小文字で音声の質を切替える、詳細読みを行わせるなど「一般的な」音声の使い方ではないため、プログラム開発者にこちらの意図を理解してもらうのになかなか手間取ったのです。
開発に手間がかかった分なおさら、プログラムが仕様通りに仕上がってくると喜びを感じることができました。こうしてできあがったWindows 95対応のスクリーンリーダの一般デビューは1996年7月のワークテックでの発表でした。僕にとっては同年10月にデータショウのアクセシビリティコーナーで出展したことの方が印象深い思い出です。視覚障害者の方にとっても、実際にキーを叩いて音声を聞くことができたのはこのときだったと思います。
製品としてリリースされたのは翌月の11月です。製品化に漕ぎ着けるまでも多くの難関がありましたが、最終的には宇都宮までお願いに上がり、この売れるかどうかわからないソフトウェアをシステムソリューションセンターとちぎ(SSCT)より販売していただくことになりました。製品化にあたってはプログラム以外にも細かな調整がたくさん必要でした。参考までに書き添えておくと、95Readerの名付け親は筑波技術短期大学の長岡先生、95ReaderアイコンはSSCTの村山さんがデザインしました。
発売当初の95Readerの機能はとても貧弱でした。それなりに使えると言えたアプリケーションはワードパッドとExcelだけです。このため翌1997年以降は、読み上げ対応アプリケーションを増やすことに力を注いでいきました。アプリケーション開発業者さんをはじめとする多くの方々のご協力もあって、1997年にはWZ Editorの読み上げ、ヘルプの読み上げ、ViewIng for 95Readerの開発などが実現されました。またこの年、ソフトウェア・プロダクト・オブ・ザ・イヤーをいただいたことも、95Readerの改良を続ける励みとなりました。
1998年から1999年にかけては、Wordの読み上げと点字出力機能の追加などが、設計担当者として苦労と実りの多かった仕事でした。点字出力機能の実現にはニュー・ブレイル・システムの星加さんに大変ご苦労をおかけいたしました。これ以外でも多くの一般アプリケーションを音声対応とすることができましたが、その多くは岡田さんの努力に負うところが大きいものです。
以上のように95Readerの開発と普及はチームプレイで進められてきました。まずは、研究開発委員の先生方と当センターの岡田さんとが、Windowsの普及によりパソコンが使えなくなり職場で困っている視覚障害者をサポートする、そして、研究だけで終わるのではなく製品化を目指すという開発理念を明確に打ち出しました。ついで僕が、書いている本人が途中でイヤになるほど細かく仕様を定め、その仕様通りできあがるまでしつこくプログラム開発者とやりとりをしました。当然のことながら、こちらの仕様通りプログラムを組んでくれた優秀なプログラマ抜きには開発はなしえませんでした。そして、商売になるかどうか予測のつかないソフトウェアの販売にSSCTという会社が踏み切ってくれたことと、そこでソフトウェアの普及に村山さんが努力していただいていること。これらが混ざり合って、95Readerは現在のように多くのユーザーに使っていただけるようになったのだと思います。
微力ながら今後とも視覚障害者の情報アクセスの推進に寄与していきたいと考えています。95Readerに関して、あるいはそれ以外でも、ご意見・ご要望をお寄せいただければ幸いです。
本稿は,株式会社アメディアの月刊情報誌『メディア・ナウ』に掲載された原稿です。
原稿作成日:2000年9月30日